当時、板橋区舟渡町と埼玉県戸田町との境界線は、荒川の流れをはさんで複雑に入り組んでいました。そこで、これを是正するため東京都と埼玉県で話し合い、線引きが行われました。花火大会はこれを記念し、そしてこれからも末永くお付合いをしていこうと、戸田町からの依頼により板橋区が後援することで始まりました。
翌年の昭和27年8月16日の花火大会は、戸田町と板橋区の共催により実施されました。当時の人出は約15万人で、昨今の人出(約50万人)に比べて少なかったのですが、そのころの板橋区の人口(約24万人、世帯数5万8千戸)を考えると、大変な賑わいだったといえます。
花火大会の名称は、昭和35年の第10回までは「戸田橋花火大会」、昭和53年の第20回までは「区民納涼花火大会」(途中、昭和40年から47年までの8年間は、交通事情の悪化などのため中断)、昭和62年の第29回までは「板橋花火大会」、そして昭和63年の第30回からは「いたばし花火大会」となり、現在に至っています。
また、会場となっている荒川河川敷の土手も、座りやすい階段状に整備(平成5年の第35回に完成)されました。
花火についても毎年内容が充実され、尺玉やスターマインをはじめとする打ち上げ花火約5,000発やいたばし花火名物のナイアガラの滝など、たくさんの見所が作られました。現在、対岸の戸田市の打ち上げ数と合計すると実に約11,000発の花火が夏の夜空を彩っています。
最近では、「伝統の隅田川花火」に対し「実力のいたばし花火」としてマスコミ等で注目を集め、板橋区民だけではなく、東京都民・埼玉・千葉・神奈川など周辺の人々もたくさんつめかけ、今や東京を代表する花火大会となっています。
2003年度より導入された有料指定席も、場所取り要らずでゆったり観覧でき、花火の迫力を間近に感じられると大好評を得ています。